< 人魚の宰相 >

〜兎と女王と人魚の話〜

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僕の愛しい女は 読書が好きで、暇を見つけては本を読んでいる。
仕事をしているか、本を読んでいるか、そのどちらかと言ってもいい。
それ以外と言えばどこかへ出かけて行ってしまっている。
僕を訪ねて来るなんて事は、この城に来てから殆んど皆無と言っていい。

(まぁ、僕の方から会いに行くので問題ないですけどね…)

僕は一応、彼女に仕事を提供し、住む場所や、生活に必要な
ありとあらゆる事を統括している責任者であり、上司でもある訳だが、
彼女は それ以上の親しみや関係を現状において、僕には一切求めて居ない様子だ。
それでも彼女が幸せそうにしているので、僕としては及第点の満足といった所だろうか?

(いつも連れ立っている相手が気に食わない事を除けば、ですけどね…)

ストーカーと言われようと、何と言われようと、
僕は彼女を追いかける事をやめられないし、
むろんチャンスがあれば、たとえ雑菌にまみれようとも、
抱きしめたり、キスしたりして、ずっと一緒に過ごしていたい。
何度言っても言い足りないこの気持ちを、彼女に伝えたい衝動だって
ずっと燻り続けている。

だけどその度に 彼女の笑顔を見せ付けられ、これといった事も出来ないまま今に至る。
つまり僕の隣りに居なくても、彼女はこの世界で幸せになれたという事だ。

僕では、彼女を幸せにしてあげられない。
だから僕は、彼女の何にもなれない。

だけど、同じ世界に居て、ずっと彼女を愛していられるのだから、
僕はこれが自分の幸せと思う。

なのに この所、ずっと曖昧な「何か」を僕は持て余していた。

この気持ちは何だろう?
彼女と一緒に居る奴らが羨ましくて仕方が無い。

僕は、彼女の幸せを願っていたし、
同じ世界に居てくれるだけでいいと思っていたのに、

何かが違ったんだろうか?
 

いつも笑っていて欲しいと思っていたのに…今は、酷く苛立つ。

( 解らない…)

カラン、とペンを投げるように置いた。

「なんじゃ ホワイト、少しも仕事が進んでおらぬようじゃな?」

機嫌がいいのか、いつもなら視界に入れようともしない宰相に女王が話しかける。
執務室は夕暮れの赤い色に染まっていた。
夕日に照らされた宰相の真白な髪が茜色の中で一際浮き上がり、
その様は、誰の目にも美しく映っていただろう。
むろんそれは女王も例外では無い。

「ええ、ちょっと疲れているんです、
誰かさんのせいでこの所ずっと働き詰めでしたからね」

「ふん、人のせいにするでないよ、元々お前がサボって溜め込んだ仕事ではないか」

「仕事なんか、ちょっと頑張ってすぐに片付くくらいが丁度良いのに…」

「それには妾も同感じゃな、
この仕事はいくらやっても次から次へとキリが無い…ウンザリじゃ」

「なら、後はキングに任せて、僕と陛下は休憩という事にしませんか?」

「おぉ!それは良い考えじゃ、
さっそく茶会の準備をさせるとしよう… お前はどうする?ホワイト、」

「僕はアリスに会いに行きます」

「おや……それならば無駄じゃな、アリスなら出かけてしまっておる」

「ええ?!どこへ…ッ?!」

「知っているかと思っていたが? 
だから気落ちして仕事が進まないのかと思っておったわ」

「…何処へ?アリスは何処へ行ったんですか?!」

「そんな事を知ってどうするのじゃ?追い回しても嫌がられるだけじゃ、やめておけ」

「でも、知りたいんです!」

「愚か者、そんなことだからアリスがこの城に寄り着かなくなってしまうのだ!
妾とてアリスと一緒に茶を飲みたいと思っているのだぞ? それなのに…お前のせいで!」

「何故、僕のせいなんです!?
アリスは僕を愛しているのに、僕を避けたりする筈が無いでしょう?!」

「自覚も無いとは幸せなことじゃな…」

「嘘じゃありませんッ、アリスは僕を愛しているんです!」

「仮にそうだとしてもアリスは知らぬ、お前がそうさせたのだろう?」

「〜〜〜〜ッ!!」

「諦めるのじゃな、今更、追い回すなど見苦しいマネはよせ、ホワイト
 まぁ気持ちは解らないでも無いが、お前はしつこ過ぎるのじゃ、益々嫌われるぞ」

「放って置いて下さいッ……」

「放って置くべきなのはお前じゃ!
 まったく、いいかげんに学習したらどうなのだ…」

「学習…、そういえば、やらなきゃいけない事がありました!」

そこで、宰相は思い出したように話の腰を折った。

「…そう、僕は、アリスに何か本を読めって言われていました、
 お利巧なウサギとしては、今のウチに何か読んで置くべきですよね!?」

「ほう? お前にしてはマシな考えじゃな、アリスが喜びそうな本の見当はついておるか?」

「正直、何を読めばいいのか さっぱり解りません」

「宰相の名が聞いて呆れるな…」

「アリスに相談したくてもこの所は、ちっとも会えないし、
 僕は、なんて可哀想なウサギさんなんでしょう…」

「そんなくだらん用件で大の男が会おうとするな、本くらい自分で探して読め!
 会った所で肝心な事が何も言えんのでは無意味ではないか、
 そもそもお前の言葉には中身が無さ過ぎるのだ!」

「別にいいでしょう、僕はアリスに会えるだけで幸せなんですから…」

「そんな事だから お前はダメなのじゃ!
 アリスが心動かされるような何かもっと気の効いた事が言えんのか!?
 ほんに不甲斐の無い!!」

「それは……僕だって、伝えられるものなら…」

しばしの沈黙の後に、女王は辛辣な口調で言った。

「おい、ホワイト…よもや、アリスに、
 お前の愛した時間こそ 実は自分なのだとでも言うつもりではあるまいな?」

腹の底を見透かされ、宰相は悔しげに顔をしかめる。
言える訳がなかった。

知れば彼女はすべてを思い出し、元の世界に帰ってしまうだろう。
それをペーターは何よりも恐れている。
そもそも、忘れさせるためにこの世界へ強引につれて来たのだ…

アリスがこの世界でずっと幸せに暮らして行くのならそれで自分は満足だ。
それこそが自分の望みであり、目的だった筈なのだ。
なのに、どんな手段を使ってでもアリスを欲しいと思う、
この気持ちにまるで折り合いが着かない。

(彼女がたとえ幸せでなくても、自分の側に居て欲しいだなんて…)

「そ、そんな事を言う訳が無いでしょう!…僕は、ただ……」

何とか体裁を保とうと言葉を探すものの全て途中で見失ってしまう。
賢い宰相の筈が、女王の前で まるで言い訳に失敗した子供のように口篭った。

「苦しそうだな ホワイト、ふふ…いい気味じゃ…
 今のお前を見ていると、あれじゃ、昔に読んだ物語を思い出す」

「…何ですか?」

「そう、人魚の姫の物語だ、お前のように哀れな話しだよ」

「あぁ、声と引き換えに足を貰ったとかいう……
 それの、どこが僕みたいだって言うんです?!」

「さぁな? 解らないなら尚のこと読んでみれば良いではないか、
 アリスにも、何か読めと言われていたのであろう?」

「ご冗談を!どうしてあなたに勧められた本なんか読まなくちゃならないんですかっ!?
 それも童話なんて読んだって、何もアリスに言えませんよ!」

「別に、強要はしておらん、
 お前が何を読めば良いかも解らんと言うから助言してやったまでだ、
 子供じみた事ばかり考えておるような お前には、童話くらいが丁度良いだろう?」

「あなたに言われたくありませんよ!」

「あぁ、だが、お前よりは見えておるものもあるわ!」

「あなたに僕の何が解るって言うんですか!?」

「さぁて、な……ふん、 まぁ、実際、お前がどうなろうと知った事では無い」

女王はムキになる宰相をあしらうように、転がした言葉を絡め取った。

「お前のために言い争うなど面倒臭いわ、もぅどうでも良い…妾は紅茶が飲みたい。
 すっかり用意も整ったようだし、 ホワイト、お前は 飲まないのなら
 大人しく部屋で本でも読んでいるがいいよ、アリスもそのうち帰って来よう…」

さも、もうどうでも良いというように宰相から視線を逸らし、
用意させたティーテーブルの席に座ると、お気に入りのカップに紅茶を注ぎ満足そうに微笑む。

しかし、宰相の方は女王の満足気な笑みとは対照的に、憮然とした表情でドアに向かった。
そもそも、気遣われたり 助言されたり、誰かから構われる事自体に慣れて居ないため、
この生ぬるい空気はペーターにとって非常に居心地の悪いものに感じられた。
いっそ悪態を並べ立てられた方が対応し易いし、気も楽というものだろう。
ビバルディには、その宰相の、まるで逃げ出すような姿が愉快でならなかった。

( 嫌がらせで優しくするというのも悪く無いものだな、今度からはこの手でいこう…)

宰相がドアに手をかけた時、
ふと思い出したように女王はその背に向かって再び声をかけた。

「あぁ そうじゃ、ホワイト…」

「なんです?」

「人魚の姫はな、王子の愛が欲しかったのではない事を、お前は知っていたか?」

「……いいえ」

「うむ、実はそうなのじゃ、意外であろう?」

「……」

ペーターは返事をしない。
だが、無視して出て行く事も出来なかった。
女王はそれを確かめてから、更に続ける。

「人魚はな、王子が自分以外を愛していても良いと思っていたらしいのだ、
これについて、お前はどう思う? ホワイト、」

「さぁ…それが、最良の選択だったんじゃないんですか?」

「ほう…では お前は、それを最悪の選択だとは思わないのだな?
 そうか、やはり解せぬのう…」

「………」

女王の話はそれきりだった。
宰相は何も言わず、そのまま扉を閉めて出て行ったが、
閉じられたドアを眺めながら女王はほくそ笑んだ。

あの様子なら白ウサギは きっと、あの物語を読むだろう。
そして何を思うだろうか?

人魚が本当に望んでいたのは王子の愛ではなく、
王子から与えられる真心によってのみ得ることの出来る「永遠の魂」と呼ばれるものだ。

それを手に入れる事は人魚にとって「特別」で「代えのきかない」存在になるという事だ。
自分の住む世界の掟やルールに縛られず、生きて行く意味を得ることに違いない。

そんな意味のあるモノに成りたいと願う気持ち、
他のどんなものと引き換えにしてでも欲しいと願う、羨望の眼差し。
そして、そんな自分が 思いがけず手に入れた「恋をしている自分」
その何にも代え難い喜びや、全てを差し出せるような情熱を、
人魚はどれほど王子に伝えたかった事だろう。

(まぁ、王子がその気持ちを知ることはついに無かったがな…)

王子が自分のものにならぬのなら、いっそ殺してしまおうかとも考えた人魚姫だが、

(同感じゃ、そんな気の利かないロクデナシの男などさっさと首を刎ねてしまえば良い)

だが、愚かな人魚は愚図愚図とそれすらも出来ず、最後は泡となり消えてしまった。
その上、後には空気の娘となって、他の娘と王子の結婚式を人知れず祝福したりする。

(大馬鹿じゃ、薄気味の悪い自己満足に酔っているだけという事にさえ、気付いておらぬ)

そんな幸せなど偽善だと、ビバルディは他人事のように思ったものだ。

だが、あの宰相はどうだろう?
同じように他人事だと読み流してしまうだろうか?

あるいは……
そんな思案を巡らせながら、女王は一人、熱い紅茶を啜った。

「さて……これは、次に会う時が楽しみじゃな…」

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