< 白ウサギは 時計仕掛けの 夢をみるか? >

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〜 refusal 〜

さてもその日 広い城の中で、新しい宰相はこれからの自分の生活を
どの様に確立したものか、彼なりの考えを巡らせている所だった。

今までとは違う役付きとしての生活に少なからず高揚しているのは確かだ。
女王の相手は面倒だが、自分の置かれた立ち位置の持てる権力はとても好ましかった。

嫌いな者を排除する事が今までの比にならないくらい簡単であるし、
何と言っても、全ての不愉快な事から自分の身を守るために有効な権限と財力が
こうも簡単に手に入った事は少なからず愉快である。

(仕事以外では誰にも会いたくないから自室はなるべく静かな場所がいいな、
 あぁ、抜け道や隠し金庫も早く用意しておかなくては…)

そんな事を考えながら城内の長い廊下を歩いている。
しかし、壁面に取り付けられた装飾の美しい鏡の前で足が止まった。

柄にも無く、映し出された自分の姿を、まじまじと眺めてしまう。
知ってはいても、さほど注視せずとも認識できる、鮮明な自分の顔は新鮮だった。

清潔さには人並み以上の注意を払っていたが、純粋に自分の「顔」だけを
こんな風に感心をもって眺めるのは初めてかもしれない。

(僕の…この顔が誰にでもすぐ解るってことですか…)

それは奇妙な感覚だった。

しばらくの間 観察した後、整った鼻筋の上で瓶底のような眼鏡が
少し重たげに傾いているのを、中指で持ち上げる。

(別におかしな形とは思いませんけど…)

およそ全ての事に無関心な彼が 珍しく、
自分の容姿などというものに顔をしかめた時だった。

「やぁ、君が新しい宰相さん?…そんなに自分の顔が珍しい?」

聞き覚えの無い声がして、ペーターはゆっくりと振り向いた。
その声の主は やはりハッキリと解る顔に満面の笑みを浮かべて近寄って来る、
とても背の高い軍服姿の男だった。


間違いなくこの城のもう一人の役付きである「騎士」のエースとかいう奴だろう。
噂には聞いているが、実際に顔を合わせるのは今が初めてだ。

男は馴れ馴れしい態度で隣りに立ち、身をかがめてペーターの顔を覗き込む。
その近過ぎる距離にペーターは眉をひそめた。

なにより、こうして鏡の中に二人の容姿が並んで在ると、
ペーターが一際 小柄で幼く見えたのが面白くなかったということもある。

そういえば女王もこの点について、新しい宰相は若いだの何だのと不満気な事を呟いていたが、
なるほど確かに、自分の外見はまだ成長期途中の少年のようだ。
お世辞にも「逞しい」とか「頼もしい男」などと言われるような風貌はしていない。
無論、実力でなら誰もを黙らせる自信はあったけれど…。

役柄上部下である筈の男は、事実、今、子供でも見下ろすようにしながら隣りに立っているのだ。
そのことに、どこか劣等感にも似た苛立ちをペーターは感じ始めていた。

「ええ、お察しの通り僕はこの城の新しい宰相、ペーター=ホワイトですけど…あなたは?」

「へぇ…今度は随分と若くて小さな宰相さんだね! よろしく、俺は騎士のエースだ!」

”小さな宰相”という言葉には、どこか棘を感じさせる響きがあった。
そのくせ まるで悪気はありませんと言うような明るい笑顔を浮かべて…
けれどペーターを不快な気持ちにさせるには充分だった。

(噂どおり、胡散臭い騎士ですね…)

ふと見ると、エースは当然のように手を差し出して居た。

「…なんです?」

呆れたような気持ちで言った台詞に、騎士はもっと呆れたような顔をした。

「君、握手も知らないのか?!」

別に握手を知らない訳では無いのに、そのとぼけ方がいちいち耳障りだ。

「握手くらい知っています! ですが…まさか、
 僕にあなたと握手しろって言うんじゃないでしょうね?」

「そうだよ、これからは同じ職場の同僚なんだしさ?挨拶だよ」

騎士は不思議そうに首を傾げる。
まぁ、この場合、大多数の者が不思議に思うだろう。
だが、だからといってペーターはそれに従うわけにいかない。

「嫌です、手を握るなんて汚い…」

ペーターの赤い眼と弱視は生まれつきだが、潔癖症もそれに近いものがあった。
誰かに触るのも触られるのも、ペーターにとってはとんでもない行為だ。
家族とだって特に触れ合うことは無かったし、必要など感じたことも無い。
何かと親しむなどということ自体がペーターの生き方にまるでそぐわない。

それなのに、この胡散臭い…ただでさえ嫌な奴だとしか思えない騎士と、
どうして手など握り合う事ができるだろう? 何があっても無理ではないか。

しかし本気で嫌がれば嫌がる程、極自然に騎士は何かを察するのか、
しつこく自分の意見を通そうとして、性質の悪い子供のような事をしたがる。

「えぇ?ペーターさんは可笑しな事を言うなぁ!
 俺は汚くないし、手だって汚れていないぜ?ホラ、よく見てくれよ!ホラ!」

「や、止めてください! 何度見ても汚いですよッ 誰もかれも皆 雑菌まみれなんです!
 消毒してからじゃなきゃ何にも触りませんからね、僕はッ!」

「そんなこと言ってちゃ宰相の仕事は勤まらないだろ?…ホラ!」

「結構です、仕事は仕事でちゃんとしますから……って …ちょッ…うわぁッ !?」

エースが強引に手を取ろうとするのをペーターは思わず振り払って叫ぶ。

「あははッ 君って臆病だなぁ!」

「お、臆病?この僕が?!…はッ …一体どう解釈すればそうなるんです!!!」

「怖がってるじゃないか、だから握手も出来ないんだ」

「汚れるのが嫌だと言ったでしょう!何を聞いていたんですか?!」

「だから、俺は汚れていないって言ってるじゃないか、解らない兎さんだなぁ
 まぁ、兎さんは元々臆病で用心深い生き物だから仕方ないか、ははッ…ごめんな?」

そう言って、騎士は一方的に話を終わらせると、
ヒラヒラと手を振って再び廊下を来た方角とは逆に歩き始めた。

「ちょッ…まだ 話は終わっていません……」

言いかけてペーターはハタと気付く。

「何? まだ何かあるの? 悪いけど俺、今はちょっと急いでいるんだ」

「あなた、一体 何処へ行くつもりです?」

「何処って…謁見室だよ、陛下に呼ばれてるんだ…といっても
 大分前のことだから、陛下はもう待って無いかもしれないけどね!」

「でも、あなたが今入ろうとしているのは…」

「…何?」

「そこ、シャワー室でしょう?」

「えー?そんな筈はないぜ!確かココの筈だよ!
 俺はこれでも、君よりずっと前からこの城に住んでいるんだぜ?」

「いちいち引っ掛かる物言いをする方ですね!あなたって人は…!」

「まぁ入って見ればわかるさ!失敗を恐れてちゃ騎士は務まらないからな!」

「ま、待ちなさッ……えぇッ?!」


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「おい、ホワイト…お前、見かけによらず…
 ジュニアの男子生徒がやるような騒動を起こしたらしいな?」

「陛下、あれは事故です、騎士の巻き添えになっただけで、
 僕はあんな気持ち悪いものにこれっぽっちも興味なんかありませんッ!
 いい迷惑です!」

「そうか、まぁ…まだ年頃だしな…仕方ない、今回は許そう」

「人の話、聞いてますか?!」

「あぁ聞いておるとも、お前らがメイド達の風呂を覗き見したと…」

「違う!!!!!」

こんな理不尽で不名誉で、不愉快な事は顔なしの頃でも在り得なかった。
金輪際あの騎士に関わるのはやめにしたい、いや、するべきだ。

こんな、血が煮えるような感覚でさえもペーターには初めての経験だった。
何もかもが気に入らない、いけ好かない、癇に障る。

「ほう、今日はいつもより幾分かマシな顔をしているな、良い瞳の色だ…」

「…何を言っているんですか、これ以上僕を苛つかせないで貰えますか?」

「ふふ…お前がそれを言うのか、今日は面白い日だ」

「何が面白いんですか、何も面白くありません、あの騎士ただじゃおきませんよ!」

「無駄じゃ…やめておけ」

憤るペーターに珍しく穏やかな口調で女王は言った。

「あなたの部下だからってあんな失礼な輩を庇い立てするんですか?
 何と言われようと僕はあんな騎士、絶対に許しません」

「あやつは人を怒らせる天才だ、お前が敵うような相手では無いよ」

「そんなこと、どうして解るんです?」

「お前も、そのうち嫌でも解る」

どこか含みのある言い方だったが、
女王の言葉には経験の重みのような響きがあり、ペーターは黙った。
この城には、まだ自分の知らない事が在るらしい。

自分以外を知るのも関わるのも面倒なのに…
完全に関わりを断って生きることが、こんなにも困難だとは思っても見なかった。

「面倒臭いですね…」

「当然だ、この世界にラクな役など一つも無いわ、お前もせいぜい苦しむといい」

どんな仕事も難なくこなし自信満々だったウサギが城に来て早々に躓いたこと、
それが騎士の起こしたいつもの珍事であったことが、女王を愉快にする。

「まるで、苦しむのは僕だけじゃないみたいな言い方ですけど?」

「さぁ、どうだろうな…?」

女王はいかにも意地悪く笑って見せた。
けれども、騎士の笑顔よりは余程 我慢できるから不思議だ。

歪んだ心を持つものが、歪んだ言葉と歪んだ笑顔を浮かべているのは
至極まともなことだと思えるからかもしれない。

そんな風にして、ハートの城や自分に与えられた役はじわじわと
ペーターに馴染んで行くようだった。

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〜 confirmation 〜

城の役付き達が想像以上に不可解な存在だと気付くまでに、
ペーターは大した時間を必要としなかった。

出て行ったら軽く3桁の時間帯分は戻って来ないらしい騎士を筆頭に、
紅茶狂いに 薔薇狂い、意味の解らぬヒステリー…と、三拍子揃った我が女王陛下。

更に今日は、キングまでが数時間帯前から行方不明と来ている。

キングの行方が解らない事に癇癪を起こした女王は、
気が済むまで部下達の首を刎ね続けたあげくサボタージュを決め込んだらしい。

その女王の刎ねさせた首と死体が城内で山のように積み重なり、
今や生きている顔なしの方が少ない有り様になっている。
つまり、城は深刻な人手不足の状態にあった。

押し付けられる先を失って仕事の書類は山積し、裁判官を失ったまま裁判は中断し、
僅かに生き残った兵士達も何をどうすれば良いものか解らず途方に暮れている。
さしものペーターもこの状態の中にあっては、どこから手を付けるべきか考えあぐねていた。

「最悪だ…」

(今、敵に攻め込まれたら この城、本当に陥落するかもしれないな…)

どこか鼻白んだ面持ちでペーターは城内を見渡し溜め息を吐く。

騎士はまだ戻って来る気配が無いし、
てっきり自室に閉じ篭っていると思っていた女王もいつの間にか雲隠れしていた。
そしてキングはと言えば、どこぞに囲った女の所へしけ込んでいるという。

「最悪と言うより、もう醜悪だな…」

こうなる前に逃げ出せ無かった事をペーターは悔やんだが、もう遅い。
残った自分がこの後始末を全てやらされるのかと思うだけで反吐が出そうだ。

今や、兵士達の指揮を執っているのも、公務や税金の調達も、他領土との交渉も、
果ては使用人の給料の管理に至るまで、あらゆる雑用がペーターに任されている。

普通、仕事はやればいつか終わるものだと思っていたが、
此処ではやればやるほど増えていく。
女王の言葉を借りれば「仕事を早く終わらせた褒美に妾の分の仕事もやろう」
なのだから、まともなやり方で応じていたのでは片付かない。

顔無しだった頃から、元々ふざけた国だとは思っていたが…いざ役付きとして、
このふざけた国の役割を背負わされる事になって目の当たりにした不条理さは
ペーターの予想を遥かに越えていた。

取り合えず行き先の知れているキングだけでも城に連れ戻して、
押し付けられるだけの仕事を押し付けてしまおう。
そう考えて、キングの元へ迎えの兵士を向かわせたのが、1時間帯前のこと。

しかし戻って来た兵士はキングを連れては居なかった。
ペーターは兵士を今までに無い程キツく睨みつけた。

「…おい、どういうことか説明しろ、早急に!」

震え上がった哀れな兵士はただ首を振ってペーターを見返すだけだった。

「早く状況を報告しろと言っている!」

「恐れながら、今はキングに戻られるつもりは無いようでして…」

「それでもいいから引きずってでも連れ帰れと言っておいた筈です!
 あんな老いぼれ一人くらいどうにか出来なくてどうします!それでも兵士か?!」

「しかし、キングに逆らうなど…」

「ほう、それは…キングには逆らわず、僕には逆らうという事ですか?」

「め、滅相もない!…決してそのような事は…ッ しかし…」

兵士はそこで耳障りな事実を告げた。

「キングの方が宰相閣下よりは位が上なものですから…」

ギリッという奥歯を噛み締める音が響いて、ペーターの頬が解りやすく紅潮した。
その顔が屈辱に歪んで震えている。
役付きにこんな顔をさせて一兵士が無事でいられる筈が無い、と、誰もが息を呑んだ。

「…僕が居なければ…この城、今頃は確実に陥落していますよ?
 そんな事も理解できないんですか? そんないい加減な連中に、
 地位だの何だのしのごの言われたくありませんッ 
 勿論、お前らごときにもだッ…!」

「ご、ごもっともです!」

強張った面持ちの兵士達はは泣きそうに裏返った声で同意の言葉を叫ぶ。
それすらもペーターの苛立ちへ油を注ぐ事になるなど、恐怖で想像できないのだろう。

「僕は…陛下のようにすぐ首を刎ねたりしません…ですが、
 殺してやろうと思った奴を忘れることも決してありません…覚悟しておけ!」

「ヒッ…!」

転がるように逃げていく兵士と山積みの書類とを、交互に見た。

「クソッ…こんなものッ……もうやって居られるかッ!!!」

机ごと書類の山を蹴り飛ばした。
崩れ落ちる書類が雪崩のように眼下を白く埋めていく。
その視界の端に不愉快な人物の影が入って来るのに気付いた。

「何です今頃…、随分ゆっくりなご帰還ですね」

「あ、あぁ…いや、その、ワシが留守の間に…君には気苦労をかけてしまったようだ」

「あなたの方は とてもお楽しみだったようだ、キング」

「ワシも、そ、その、たまにはそういうこともあるさ…は、はは!
 それとも私が何かを楽しんでは可笑しいかな? な、生意気だと思うのかね?」

キングは怯えているような口調で返事をしているが、
それはいつも通りの怯えた口調で普段と何ら違いは無い事に、
ペーターは疑問を抱いた。

確かに内心、ペーターはこの王を生意気だと感じている。
こんな冴えない地味な男、ずっと這いつくばって女王に怯えて居ろと思っていた。
それなのに怯えながらもいっぱしの王のような態度で自分に接しようとしているのが、
いちいち癇に障る。

(こんな奴が仕事を放って女遊びなんて分不相応ですよ!)

この王を、ペーターはどうしても敬う気にはなれなかった。
何かを命令されても辛うじて我慢できるのは、今の所、あの天井知らずに我侭な女王だけだ。
本当はそれすら認めたく無いのだけれど…こればっかりは仕方ないとどこかで観念している。

しかし、それを言葉にはしなかった。
この男はナイトメアのような力を持っていない、あえて本心を教えてやる義理も無い。

「返事をしないのかね?」

「あなたが面倒な質問をするからですよ」

どす黒い声でペーターは答えた。

その言い草にそれでも自尊心を傷つけられたのか、
王はいつもなら言わないような言葉を返す。

「ははっ しかし君のおかげでこうして現に城は無事だった、つまり今もワシは王なのだ」

「だからなんです? 城を落とされて処刑される方が良かったですか?
 それなら、王には特別なギロチンが必要かな?
   民衆に公開すれば、目立たない貴方も少しは注目されるかもしれませんよね、
 流石は王様と最期くらいは言われたいでしょう?」

「ひえぇッ…き、君は、革命を起こすとでもいうのかね?!」

「まさか………僕は真面目で賢い兎ですから、そんな事はしませんよ、
 ですが口の聞き方には気をつけて下さい、僕はあなたなんかの言いなりに
 なるつもりはありません」

「女王ならいいのかね?」

キングにしては、似合わぬ挑戦的な、何か確信を含んだ台詞だった。

「何故…今、陛下の事が出て来るんです?
 こんな時にまで彼女のスカートの裏に隠れたいんですか?」

「フンッ…そんな事を言っても誤魔化されないぞ、
 ワシの方が地位が上だと言われたのが不満かね?でも女王ならいいのかね?」

(だから何だ?急に…この男は何が言いたいんだ?)

「ビバルディは私のものだ」

「はぁ?…何を言っているんです?」

役割としてのキングと女王であって、二人は夫婦では無い。
それなのに、まるで女王を支配しているのは自分だと、この男は言っているのか?
ひいては、その支配の延長上にペーター=ホワイトも居るのだと言いたいのか?
それとも力ある者への単なる嫉妬と言いがかりを愚かにも吐露しただけなのか?

(馬鹿馬鹿しい!)

これ以上、キングの世迷言に付き合うのはまっぴらだった。

「ハッ…そんなことはどうでもいいですから、早く仕事に取り掛かって下さい!
 大概にしないと、本当にウッカリ殺してしまいますよ…?」

「ヒッ…わ、わかった、すぐにメイドを呼んで書類を運ばせよう」

銃の形に変わった時計を見て、キングはすぐにいつも通りのキングになった。

「宜しい、僕は城内の警備を見回りますので失礼します」

「そ、そうしてくれたまえ!」

しかしその時のキングの反応が計算なのか、本当の怯えなのか、
ペーターにはまだ、よく解らないままだった。

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ペーターが忙しなく行き来している廊下の奥では、
メイド達がコソコソと会話していた。

「・・・・だから・・・・なんですって」

「・・・・なのに?・・・・まぁ・・・それで・・・」

「・・・あら、・・・・だったんですの・・・ねぇ」

距離を隔てた場所でも兎の耳はよく聞こえるから便利だ、
それは彼女達の間で長く語り継がれてきた周知の秘密らしかった。
たとえどんな秘密であっても、この城の事をメイド達は知っていて
宰相の自分が知らないなんて不愉快だ。
だから、特に興味のある話題では無くてもペーターは足を止めると
書類を見直す仕草をしながら、その一部始終に聞き耳を立てる。

その話は、要約するとこうだった。

今の女王陛下がこの城に来た時からキングには恋人が居て、
それは当時の城に勤めていたメイドだった。

女王はその恋人の存在が気に入らなかったため一度は殺そうとしたが、
キングが女王に懇願した結果、殺されずに済んだ。

それからは女王も恋人を何人も作るようになったが、皆すぐに殺してしまう。
キングがその恋人の所へ出かけると大層機嫌を悪くして、その都度 城中の兵士が殺される。
全滅寸前になった事も一度や二度では無く、
犠牲の多い恋愛もあったものだ、とはメイド達による締めくくりだ。

そこまで聞くとペーターは眉間に皺を寄せ、酷く顔をしかめた。

(…意味が解らない)

ここまでの内容をこんなにも簡潔に頭の中で整理しておいて尚、
ペーターには何一つ理解できる事が無かった。
取り留めの無いナンセンス漫画の内容でも聞いているような感覚だ。

(そもそも 泣きつかれたくらいで 死刑を取り消すなんて…)

キングがそんなことをする意味も、そして女王がキングの恋人を殺さなかった理由も、
今尚こんな現状になるまでに至った二人の行動理由の全て、何一つ合点がいかない。

「何故、そんなことをする…?」

元より、他人の心持ちなど推測するのは、彼の最も不得意な分野だ。
しかし結論を出せないというのは、やはりスッキリしない。

(ナイトメアなら解るんだろうか?)

答えの出せない問題を前にすると、すぐに模範解答の書かれた参考書を求めてしまう。
これは優等生気質な者ならではの悪い癖だろうか?

どんな問題にも数学のように明確な答えがあると錯覚を抱いてしまうのだ。
それが解らない時は純粋に悔しいと思うし、簡単に解る奴が居ればいつだって妬ましい。
しかし、ペーターはそこまで考えてから、ふっと冷静に戻る。

何故だろうかこの件に限っては、あまりナイトメアを羨ましいとは思えない。

おそらく自分はどこかでこんな事は知りたくないと思っているのだろう。
目を背けて知らないふりをしていられるなら それに越したことは無いと…兎の本能がそう告げて来る。
ペーターはそれに従う賢さをいつだって失わずに持っていた。

だからこそ眼を閉じて軽く息を吐き、
何事も無かったように書類を小脇に抱え直してその場を離れたのだ。

(好奇心に殺されるのは 猫であって兎じゃない)

解らぬ問題に首を突っ込むような愚かな事をしてはいけない。
僕はハートの城の宰相、白兎のペーター=ホワイトなのだから…と、

生じた疑問を紙屑のように握り潰した。
その時は、そう、その時は 確かにそうしたのだ。

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一仕事終えたついでに休憩も食事も済ませてから ゆっくりと城内に戻ると、
中断されていた筈の裁判が再開されていて、ペーターは首を傾げた。

面倒事を勝手に片付けて貰えるのは願ったり叶ったりだが、
裁判は基本的に 女王とキングとペーターの3人が揃って行う仕事の一つだ。

ルールにも例外はあると聞いてはいても、
まだ役付きになったばかりのペーターにはとても奇妙な事に思える。

だから、そっと忍び寄るようにしてそれを覗き込んだのは、極自然な衝動だ。
自分抜きのイレギュラーな状態で行われている裁判が一体どんな様子なのだろうかと
ただそれが知りたくて…

けれども、そこには女王の姿さえ無く、キングがたった一人で立っていたので
ペーターは更に首を傾げることになったのだった。

キングが一人で罪人に判決を下し、刑を執行している。

(おい、いいのか?)

元々3人で雁首揃えてやるような仕事とは思っていなかったから、
取り立てて咎めようという気も起こらないが、その空間に漂う違和感はどうしても拭えない。

キングはペーターが居るのに気付いていないのか淡々と罪状を読み上げては判決を下していく。
それを見て、まったく殊勝な事だと皮肉交じりに笑おうと上がりかけたペーターの口の端は、
結局、最終的にはへの字に歪められてしまった。

判決がずっと、絞首、斬首、斬首、絞首… の、繰り返しだと気付いた為だ。
その後に続くのも 死罪、死罪、死罪、死罪、… どうやら他の項目は存在しないらしい。

それは 女王のやり方と何ひとつ変わる所が無かった。

殺しが趣味なのは、どうやら女王様だけでは無かったようだ、
いや、むしろこの男の方の趣味だったのかもしれないとも思わせた。

それだけ その残忍な振る舞いが様になっているのだ、キングに… そう、あの キングにだ。
実に意地悪く愉快そうにイキイキとして、まるで普段の姿こそが嘘のように見える。

思わず唾を吐きたい衝動に駆られた。

無論ペーターにとって顔なし達の不当な裁判結果など別に心動かされる問題では無いし、
顔なし達が今までも、そしてこれからも、どれだけ殺されようとどうでも良い事だ。

ペーターが抑えきれない程の気色の悪さや、嫌悪感を覚えたのは、むしろ、
女王の判決に対して咎めるような、慈悲深そうな発言を繰り返していた今までのキングの方だ。

『ビバルディ…そ、その罪状で死刑は、いくらなんでも……』

(なんて事を言っていた癖に、)

しかし思い返せば、そんな慈悲深いキングの発言を突っぱねるために女王は
余計にむきになって首を刎ねているようでもあった。
あれはそんな女王の態度を全て見越した上で演じていたこの男の芝居だったのか。

(だとしたら、とんだ食わせ者だな…)

弱くて姑息で、他人の感情を巧みに利用して操り、また弄ることにも長けている。
ペーターは元々自分以外 全て嫌いだが、中でもこういう手合いがストレートに苦手だった。
腹黒い謀略を得手とするのは自分も同じだが、やり方はまるで違う。
趣味の問題だけで言えば真逆とさえ言ってもいい。

それが冷静な筈の、真っ黒で真っ白なペーターの、その胸の内をチリチリと引っ掻いて、
何故か 顔なしに言われた地位云々の言葉も今更になって蘇り、この ただでさえ
得体の知れない感覚を 苛立ちで更に混ぜ返す。

それは、ペーターが元々負けず嫌いな性質だからかもしれないが、
ともかく 気づけば 黙って出て行こうとしていた筈の足が、キングに向かって歩いていた。

それに気付いたキングが驚いて次の判決を言いよどんでいると、
ペーターはそれを見計らっていたように、意地悪く笑った。

「お一人で裁判ですか? 珍しいですねキング」

「ぅ…うむ、まぁ、今は人手が足りない時だからな…し、仕方ないだろう?」

「そういうものなんですか?」

「う、うむ…そうなのだ」

「そうですか、それにしても 驚きました…まさか 陛下がお留守の時でも、
 陛下と同じ判決を心がけて居られるなんて、あなたは本当に女王代行の鏡ですね…」

「いや、これは……」

ペーターは代行という言葉に殊更 毒を含ませてやった。
持って回った言い回しで笑顔を作っていてもその本心を少しも隠さない。
しっかりとその敵意をキングに教えてやる、それがこの宰相のやり方だとでも言うように。

「どうしたんです? 裁判を続けましょう」

言い淀んだままのキングからペーターは素早く書類を取り上げると、いつものように
良く通る勿体ぶった口調で罪状を高らかに読み上げてやった。

「次の罪人、城内のコック…罪状は職務怠慢!
 用意したパンが騎士の帰宅を想定して居なかったために数が足りなかった…だそうです」

裁判なんていつも最初から最後まで、くだらない内容ばかりだ。

「な、なるほど、そうか…はぁ…」

キングも 居心地 悪そうに溜め息を吐く。

「さぁ判決をどうぞ、キング」

「で、では…その者の首を…」

「おや、キング また女王の判決とお揃いでいいんですか?」

「も…勿論、そうだ…」

「別に…お好きな判決を言っても、僕は 告げ口なんかしませんよ?」

「い、いや、しかし、そういう事では…」

「いいじゃありませんかこんな時くらい、今はキングが裁判長なんですから、
 いつも陛下の裁判は殺し過ぎだって裁判の間中、ずっと辛そうにしていたじゃないですか?」

「それは…そうだが、今は、その…」

「それとも、あっちの方が全部 嘘だったんですか? 」

その一言が最後の引き鉄になって、キングはペーターを見た。
沈黙が続き、ペーターもキングを睨みつける。

こうなったら裁判どころでは無い。

「何だね?ペーター=ホワイト、君は ワシのする事などどうでもいい筈だろう?
 気にせず もうここはワシに任せて休憩してくれて構わないんだがな…」

「おや、お気遣いどうも…確かに僕は あなたの事なんかどうでもいい…、
 ですがキング、これだけは伺っておきたい」

「な、なんだ…」

「もしもこの事を、陛下が知ったらどうするとお考えです?」

「…な、なんだと?」

「僕、解ったんです、ま、全部じゃありませんけど…」

「だ、だから、何が解ったんだッ…!」

「あなた……本当は陛下に首を刎ねさせたくてしょうがないんでしょう?
 いつも わざと機嫌を損ねるような事をして、あんな心にも無い慈悲深そうな事を言って…
 本当は、陛下を怒らせたかっただけなんですよね?」

「な…それは、だ…断じて違う!」

「単純な陛下が意地になって、顔なしの首を刎ねるのを
 キングが内心では大喜びしていた…なんて知ったら…陛下はどうするのかな…?」

「言い…言いがかりは止めないかッ…ペーター=ホワイト!そんなのは、ただの想像じゃないか!」

「でも、陛下はこんな僕の想像をどう思うでしょう? 僕の言うことなんか聞かないかな?
 逆に意地でも首を刎ねるのはやめる!とかなんとか…これは 流石に陛下でも言わないでしょうか?」

「だ、黙れ、黙らぬか!!」

「ねぇ…それ、まさか僕に言ってるんですか?」

ペーターの凄んだ声が、その場を凍てつかせる。
裁判は中断したまま、気まずそうな兵士達がただただ二人の会話を見詰めていた。

「あのぅ…」

おずおずと兵士の一人が声をかけると、絶句しているキングを横目にペーターは言い放った。

「今日の裁判は全員 無罪放免とする!…閉廷!」

「え…えぇ!?…よ、宜しいのですか?!」

「おい、ホ、ホワイトッ…何を…ッ?!」

「問題ない、キングも同じ考えだそうだ」

「…なッ…なにをッ?!おい、ペーター=ホワイト!」

「解ったら 早くしないか」

「はッ…はい!」

「おい、ペーター=ホワイト! な…なんという事をするんだッ…勝手は許さんぞ!」

「これが勝手だと言うのなら、あなたが一人で裁判をするのも随分と勝手な事だと思いますけど?」

「うぅ…おのれ、お、憶えておれ!」

「何です? 仕返しでもするつもりですか? では、お手並みを見せて貰いましょうか、
 ですが 僕は別に、今ここであなたを殺しても、全く構わないんですけどね…!」

ペーターがそう言って時計に手をかけると、キングは慌てて踵を返す。
何も言わずに堂々とした足取りで出て行く事がせめてもの威厳を保つ最後の手段だったろうか?
そのあからさまな態度に、撃つ気もキングと一緒に失せてしまう。
呆れ顔でその後姿を見送ると、ペーターは忌々しそうにフンと鼻を鳴らした。

しかしそれはそれだ、残った宰相はキングがもしも戻って来ても、
二度とこの裁判結果を覆す事が出来ないように抜け目無く書類をまとめ上げて、
無罪になった部下達には休暇を与え、復帰の際には職務変更も無条件で認めると伝達した。

そうすれば、部下達が自分にとって都合良く動くようになる事をペーターはよく知っている。
それでも、それをキングへの当て付けだと包み隠さず言ってしまう、
その必要以上に善良ぶれない所は 彼らしい所でもあり 幼稚さなのかもしれないが…
実際、部下達はそれがキングへの当て付けだと知っても、その気の効いた配慮をとても喜んだ。

形ばかりの役柄なのだから、誰だって実質的な力の無い者には従わない。
利益をもたらさなければ尚更だ。

ペーターだって同じだ、キングに従うつもりなどまったく無い。
しかしこの時点でキングの実力がどの程度のものなのか、ペーターは全く把握していなかったから、
そういう意味ではまったくキングに興味が無い訳では無かったし、
或いは、それは とても無謀な事をしているのかもしれなかった。

(だけど、僕があんなのに負ける訳が無い)

何の根拠も無くペーターはそう思う。

あんな奴に僕が媚びなきゃならないような盤上なら、自分からさっさと降りた方がマシだ。
誰にされなくても自分で自分を終わらせてやる、そんな事を何の悲壮感も無く
まるでオセロの角を取るか取らないかくらいの気軽さで考えていた。
きっと負けたと思った時には、本当にあっさりとその引き鉄を引くのだろう。

(僕の代わりなんて いくらでも居る、だから平気だ)と、

それはこの世界の誰もが考えるとても軽やかで、空虚な言葉だ。
けれどその時のペーターにとって、確かにそれは ある種の強さに違いなかったのだ。

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