< 白兎は 時計仕掛けの 夢を みるか? >

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悲しみに暮れる一人の少女が居ました。
まだ全てを知るにはその心は少し若過ぎたのでしょう。

けれど、いつだって「時」は彼女に選ばせてくれない。
だから悲しみと後悔は、常に彼女と共に在りました。

それは彼女がまだハートの国に来る前のこと。


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「聞こえるかい?」

彼にしか聞こえない夢魔の呼びかけに、白い耳がピクリと動いた。

(ええ、聞こえていますよ)

「珍しいことがあるものだな…」

(そうですね、誰かが…僕を、動かそうとしています)

「君が、何かを感じてるなんて珍しいな、と、私は言ったんだよ 白兎?」

(………)

他人の感覚にまでずかずかと上がり込む夢魔の軽口を意図的に無視して、
ペーターは自分に干渉している耳慣れない声に意識を集中させた。

「誰だろう? 何故、こんなことをしようとするんだろう…?」

どこかでドアが微かな風に揺れながら自分の何かを押し開こうとしている。
それはまるで誰かがすすり泣くように「キィ」と音をたてた。


そしてほの暗い夢の中、白兎の記憶は暗転する。


バタン!

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〜 prologue 〜

『僕らの世界に墓は無い…
 死ねば身体は消え「残像」となって次の時計を与えられるのを待つだけだ』

当たり前のことなのに、白ウサギは今更それを確かめるように言った。
珍しく思い詰めたように何かを想っている。

あぁ、そうだとも、と、私は応えた。
そんな事を白ウサギが求めて居ないのは百も承知でその未熟な心を乱してやる。
惑わしながら、本人の避けようとしている方へわざと誘導するためだ。
それが夢魔という役割の有り方だから。

『死体が残像になって去った後には、胸の時計だけが残り、
 時計は「時計屋」別名「葬儀屋」とも呼ばれる一人の男に届けられる』

誰でも知っている事だ…と、

葬儀屋はこの世界で唯一「時計」を修復出来る存在であり、
時間の死は、止まった時計として時計屋に届けられる事になっている。

ここはそういう世界だ。

残像は修復された新しい時計に宿り、再び新しい身体を得ることが出来るまで
この世界を這い回るようにして時計を集めている。

浅ましい時間の亡霊の徘徊…しかし、いつかは自分もああなってしまう。

死んだ時点でそれまでの記憶は消えてしまうし、
一部が時計に宿って蓄積される場合もあるが、個人の性格がそのまま残るようなことは無い。
つまり 消えてしまう記憶や人格には、代わりが現れないということだ…

しかし、誰もその事には固執しない。

『そういうことになっている…』

白ウサギは、もうずっとその言葉を何度も繰り返していた。

個々の記憶より「役割」の方が余程 大きな存在理由だから、
そのように信じて、そんなことを長い間、ただ繰り返しているのだ。

『そうだよ、それがこの世界のくだらなくも絶対の有り様じゃないか…』

ナイトメアは笑う。
しかしそれは声だけの空虚なものだった。

(こんなくだらない世界に僕達は暮らしているんだ…)

白ウサギの心の声は夢魔によく聞こえる。

もっと言えば、こんなくだらない世界を基盤に 更にくだらないルールを幾重にも敷かれ、
その上にしっかりと繋がれた状態で、管理下に置かれ暮らしている訳だが…。

『あぁ、そうだとも…』

夢魔はあえて言葉にしない。

抗う事を知らず、またその術を考えず、白ウサギは殆どの感覚に背を向けて過ごして来た。
考えることも、想い迷うことも、苦痛しか生まない、賢いウサギはそれを本能で知っているからだ。

少なくともナイトメアの知る白ウサギは、ほんの少し前までそういう奴だった。
自分の何もかもを凍てつかせたまま、ただ役割を果たすためだけにそこに居たのだ。

しかし、今、目の前に居る この白ウサギは、明らかに違った顔をしている。

彼がその想いを声にしなくても、ナイトメアには聞こえていた。

けれども、確かにその声がそのように彼の口から紡がれる事の驚きと
それと同時に湧き上がる期待を、押さえる事が出来ない。


『ナイトメア、貴方の力を借してくれませんか…?』


(どうか、僕の生涯ただひとつの願いを…)

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〜 post 〜

宰相という役職には、あたかも狡猾そうな人物を思わせる響きがあるが、
例に漏れず 彼もその賢さを持ってこの城に君臨している。

残酷無慈悲な女王の傍らに控えながらも、決して劣らぬ陰湿な凶悪さで、
領土全ての住民から 恐れられている白兎。

その兎を人々は「ホワイト卿」と呼んでいた。

無機質で ガラス玉のような 赤い瞳に、銀縁の眼鏡をかけ、真白な銀髪の上に揺れる長い耳、
大きな金の懐中時計を肩から下げて歩く彼の姿を見たら、誰もが二度と忘れない。

だが、それは、赤い眼に銀縁眼鏡をかけ、懐中時計をぶら下げた、
白ウサギの宰相という「役」を憶えているのであって、決して、
個としての彼の存在を憶えている訳では無いし、知っている訳でもない。

そもそも彼に、どんな個があるのかどうかも 実際、定かではない。
本人すら理解していないかもしれない。

その存在の意味は元より不確かなのだから…

役という器の中身が存在しないということだって有りうる。
だが、この世界では その事を 誰もが当然のように受け入れ、理解しているのだ。

ここへ迷い込んだ余所者の少女は、この世界の事を「不思議の国」と呼び、
ここは 今、自分が見ている 「いつか覚める夢」だと語った。

けれども 彼女は、知っていただろうか?

この世界の誰もがその少女を愛しながら、
自分が何者であるか見抜かれたいと願っていたことを…

その少女を連れて来たのが、他でも無い「ペーター=ホワイト」であり、
ハートの国の宰相「白兎」と呼ばれる青年であった。

後にも先にも、そんな白兎は存在しないだろう。

ひょっとしたら、彼は この世界で始めて、個を持った存在として、
人々の記憶に残ることになるのかもしれない。

余所者である少女「アリス=リデル」を連れて来た、
唯一人の 「ペーター=ホワイト」として。


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〜 new appointee 〜

数時間帯前のこと、どんな理由からかは忘れてしまったが、
その城に勤めていた宰相は死んでしまった。

それまで知らぬ者など無かった彼も、消えてしまえばそれまでだ。
あっけなく他の者に取って代わられてしまう。

その亡骸が消え、時計が運ばれて行くのを見送った後、
若き女王 ビバルディは考え込んだ。

もうすぐ、新しい宰相となるべき者が この城にやって来るという。
想いは自然と 自分がこの城に連れて来られた頃の幼き日々を巡っている。

ただの顔なしだった幼い自分が、家族と離され、
突然、女王としての「役」を生きる事になったあの日、
初めて目にした この城の景色を、どんな風に自分は見ていただろうか?

喜びや 何らかの期待が、あっただろうか?
不安や 幾ばくかの感傷も、あっただろうか?

新しい宰相は、その役を引き継いで生きていく事を、今、
どんな風に思っているのだろう?

この先、自分の手足となって働いて貰わなくてはならない相手、
長い時間を共にこのハートの城で過ごすことになる相手なのだ。
ビバルディには、無視出来る問題では無かった。

「失礼します」

間もなく 抑揚の無い声がして、その新しい宰相が謁見の間に姿を現した。
その容姿を、女王は内心 面白く思わなかった。

代々ハートの城の宰相は、白兎と決まっている。
今度の宰相も、間違い無く白兎だ、その部分にはまるで違いは無い。

けれども、同じ役割を果たす 同じ存在だと認識するには、
いささか その容姿が 以前の宰相と違い過ぎていると女王は思った。

「今度の宰相は、えらく若いのだな…」

ビバルディは、誰に言うでも無く呟いた。

「誰でも、ここに来たばかりの頃は 若いものだよ 王妃」

キングがそれに応える。

「あぁ…妾も、ここに着たばかりの頃は、大層 若く美しかったな…」

「そなたは、今も充分に美しいと思うが…」

「やかましい、首をはねるぞ!」

ビバルディは、声を荒げた。
誰もがその女王の声に震え上がり、何故そんなことで苛立つのか?
とでも言いたげな、不安な顔で様子を伺っているが、その怯えすら、
ビバルディにとっては腹立たしいものだった。

ビバルディに言わせれば、理解しない者の方が悪い。

息を吐いて、再び 宰相の方を見る。

他の召使達やキング同様、震え上がったに違いあるまいと思ったのに、
目の前に居る新しい宰相には、そういった感情の揺らめきが、
まるで感じられなかった。

緊張すらしていないのだろうか? だとすれば大したものだが、
初見にしては、可愛気が無さ過ぎるのでは無いだろうか?

女王は目を細めて値踏みでもするように、彼の表情を観察する。

「お前、名は?」

「ペーター=ホワイトです、呼び方はご自由に」

「では、ホワイト、妾がこの城の女王、ビバルディじゃ」

「存じています陛下」

「お前は、自分がこの城で何をすべきか解っているか?」

「宰相の役をこなします、それだけです……他に何か?」

「解っておるなら良い」

「はい陛下」

宰相は無表情のまま簡単な返事だけを返した。
これ以上の挨拶をする気も無さそうな、そんな素振りに
女王は再び苛立ちを覚える。

「ひとつ聞くが ホワイト…お前は、いつもそんな顔をしているのか?」

「誰でも、日によって顔を変えたりはしないと思いますが?」

「そういう意味では無い、いつもそんな風に…いや…」

「なんです?」

「お前は、どんな時に笑うのだ?」

「…笑わなければならない時、でしょうかね?」

「そうか、では今 笑ってみよ」

「何故ですか?」

「そんな事はどうでもいい、妾が笑えと言ったのだ、
 笑わなくてはならない時だろう?」

その時、初めて青年の顔に 表情らしきものが浮かび上がった。
不満気で、いかにも面倒臭いと言いたけな…けれども、
明らかに その表情とは間逆の言葉をその宰相は紡いだ。

「そうですね、わかりました陛下」

そう言って口の両端を持ち上げて、貼り付けたような笑みを作る。
白い肌の上で細められる真っ赤な瞳、清潔で、兎らしい綺麗な歯並び。

完璧な微笑み。

こんな冷たい笑顔を、ビバルディは見たことが無かった。

こんなにも不自然で冷たいのに、恐らくほとんどの女達が
魅了されるであろうと確信の持てる、そんな形をしている。

その中身が伴わないくせに何故か非の打ち所の無い、
好意の欠片も無い事を少しも包み隠さないくせに、
可愛らしくもある、そんなデタラメとしか思えないものが、
確かに目の前に在ることが、とても理不尽に感じられて…、

それは酷く女王の癇に障った。

「これで満足ですか?」

宰相は その女王の内心を見透かしているかのように、
笑顔のまま、嘲るように言った。

「その者の首を刎ねよ!」

女王は怒鳴り、キングは慌てた。

そして瞬く間にその部屋は一面、血の海となったのだが…
むろん、宰相の血は一滴も流れていない。

哀れな兵士達の亡骸が転がっているだけだ。


女王はそこで引き際を悟った。

「ふん…思ったよりも使えそうな奴じゃな、
 気に入らぬが今日の所は許しておいてやろう、まぁまぁの余興だった」

「此処は、いつも こんな感じなんですか?」

宰相は、返り血をゴシゴシと不快そうにこすりながら、
まるで新しい町並みについて尋ねるかのように、
落ち着いた口調で言った。

「あぁ そうだな、まぁ大体、いつもこんな感じじゃ…不満か?」

「…どうでもいいです」

そんな風にして、女王と新しい宰相 ペーター=ホワイトの
城での生活が始まったのだった。

ここは、ハートの国のハートの城、
残酷な赤の女王と、狂った白兎が治める世界。

かつて、不思議の国と呼んだ、あなたの懐かしい思い出。

その物語の 始まりと終わりの その先と後を 詠いながら進むとしよう。
まだ遠いどこかの国で、眠っている 貴女を想って…

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